「期待する」こと、「期待される」こと。 | ぐっちいのスポーツを読もう!
RSS | ATOM | SEARCH
「期待する」こと、「期待される」こと。

本当はラグビー日本選手権1回戦を見て感じたことを書こうかと思っていたんだけれど、書きそびれた。ラグビー日本選手権はまだ続くし、これは後日、ということで。

で、ソチ五輪。

今朝がたのフィギュアスケート女子シングルSPで、浅田真央がまさかの16位スタートとなり、フリー演技が残っているとはいえ、トップのキム・ヨナとの得点差は19.41まで開き、3位のカロリーナ・コストナーとも18.61という大差になったことから、早々にメダル獲得が絶望的な状況になってしまった。日本選手の中で最高位の鈴木明子(8位)でさえ、1〜3位からは14点近く差をつけられている。
そのせいか、朝のニュースを見ると、全てが終わってしまった、みたいな雰囲気。

うーん。

確かに、浅田真央にかけられた金メダルへの期待は、開幕前から凄いものがあったので、その落胆が大きいのは分かる。それはジャンプ女子の高梨沙羅に対しても同じ。
今回の五輪は、特にこの2人に対する期待の大きさが圧倒的だったので、特に目立つのだろう。

こういうとき、すぐに「プレッシャーに負けた」という言葉が連呼されるのは、昔も今も同じ。
思い出すのは、84年ロス五輪。このときも、メダルが有力視されていた日本選手がばたばたと敗退し、

「プレッシャーに負けた」

という言葉がテレビや新聞に、さんざん登場した。
それを見て、とあるおばあさんが孫に、

「プレッシャーさんって、そんなに強いのかい?」

と訊いた、という笑い話が、「クイズダービー」という人気クイズ番組で出題されたことがあったなぁ(遠い目)。

まぁ、そんなことはともかく、最有力金メダル候補と期待されていた選手が、メダルにさえ手が届かないということに対して、簡単に「プレッシャーに負けた」で済ませてないか。

「負けに不思議の負けなし」

というノムさんの言葉(ネタ元は松浦静山だけれど)を借りるまでもなく、負けには必ず要因があって、プレッシャーはあくまでもその一要素。
勝因、敗因のしっかりとした検証は、スポーツメディアの重要な役割だと思うし、そこは各メディアには頑張ってほしいと思う。
特に、冬季五輪は採点競技が多いので、なぜ勝ったのか、なぜ負けたのか、という検証記事の大切さを教えてくれたのは、ニューヨーク・タイムズだった。
男子フィギュアの羽生結弦とパトリック・チャンの演技を、採点基準の数値をもとに見事に再現し、何が明暗を分けたのかを分析した記事は素晴らしかった。

http://www.nytimes.com/interactive/2014/02/14/sports/olympics/mens-figure-skating.html?smid=tw-share&_r=1

やっぱり、選手に国家レベルの期待がかけられる五輪のような大会では、こういう報道姿勢って大切だよね。

もちろん、選手に対する「期待」という名のプレッシャーの存在もあるだろう。
選手は期待されることで力を発揮できる。が、その一方で、期待されることが見えざる敵になることもある。
そこがスポーツの難しさであり、応援する側の難しさでもあるとも感じるけれど、でも、選手というのは、期待されてナンボだと思う。

確か、2005年頃のアルビの反町監督インタビューだったと思うのだけれど、ソリさんは監督業についてこんなことを言っていた。

「監督は“期待される職業”だから」

これは、選手も同じなんじゃないかな。選手は期待される職業だ。だから、応援する側は、しっかりと期待すればいい。もちろん、それに選手が応えてくれる時もあれば、裏切られる時もある。でも、それを全てひっくるめて、「期待する」ということなんだと思う。
問題なのは、「期待という名のもとに、余計な雑音を選手に浴びせること」と、ダメな時にあっさりと手のひら返しをする姿勢、なんじゃないだろうか。

author:ぐっちい, category:オリンピック
comments(0), -
Comment