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選手を支えるフットボールビジネス(セミナー3)…長文ですよ
<セミナー3>
「国内ケーススタディ」
〜菊地直哉選手 ジュビロ磐田からアルビレックス新潟へ契約期間中の移籍(期限付き移籍)〜

(株)ジェブエンターテイメント 田邊伸明さん
(日本サッカー協会認定選手エージェント)


2005年8月、ジュビロ磐田から菊地直哉選手がアルビレックス新潟に半年の期限付き移籍という形で入団した。当時、日本サッカー界に少なからず波紋を呼んだ出来事だったが、その背景にあったものは何だったのか、そのとき、選手の希望と将来のためにエージェントはどう動くのか。その検証をすることによって「期限付き移籍」が持つ意味を知ることができる。
まずは菊地選手の経歴、高校時代にどのような経験をしたのかを知る事から始めよう。

【高校時代…海外クラブを巻き込んだ争奪戦の顛末】
菊地直哉選手は1984年静岡生まれ。清水エスパルスジュニアユースから名門・清水商高へ進学し、U-15日本代表を皮切りに各年代別代表に選ばれ続け、早くから才能を注目されてきた選手である。
性格は普段はおとなしいが、いざグラウンドに出ると一転して激しさを見せる。以前はミスをしたチームメートを試合中に罵倒するような面もあった。一言で表現するなら「負けず嫌い」である。

01年、U-17ワールドカップ(トリニダード・トバゴ)に出場。このとき、たまたま日本戦をアーセナルのスカウトが観戦していたことから、アーセナルから練習参加依頼が届いた(当時はアーセナルに稲本選手が在籍)。
スケジュールの関係でアーセナルの練習参加が実現したのは02年になってからだったが、高校3年になった菊地選手にはさらにはオランダのフェイエノールトからも練習参加要請が来た。Jリーグ7チームからもオファーを受けていたが、アーセナルに続いてフェイエノールトの練習に参加したことで、海外志向が一気に高まった。
エージェントの田邊さんとの出会いは、田邊さんが02年夏に静岡へ高校サッカーの大会を見に行ったことから始まった。
その年の12月、フェイエノールトに招かれて、お母さんと2人でオランダへ。当時のフェイエには、菊地選手の高校の先輩で尊敬していた小野伸二選手が在籍していたこともあり、フェイエ入団へと気持ちが大きく傾いた。実際、フェイエ側のもてなしは手厚く、入団してから住む部屋を見せてくれたり、お母さんには契約書まで手渡していた。
そして、帰国後、田邊さんのもとに菊地選手のお父さんから「フェイエとの話が進みそうなので、ぜひエージェント契約を結んでほしい」という連絡が入り、菊地選手と田邊さんとの二人三脚が始まったのである。

明けて03年1月。菊地選手のもとにはフェイエノールトから正式な入団オファーが届き、入団交渉に入った。話は、契約書内容の確認→合意と、スムーズに進み、3月初旬に清水商高で入団記者会見を行うことまで決まっていた。

それが、そのうちに連絡の間があくようになり、ある日突然、フェイエノールトから「オファー取り下げ」の連絡が入ったのである。契約ごとは、サインをするまでは何が起こるか分からない、という現実を痛感させられることになった。

【失望、そしてジュビロ磐田入団へ】
フェイエ入団の夢が直前で消えたことで、方向転換をしなければならない。まずその前に、精神的ショックを受けて凹んでいた菊地選手本人へのケアと、新たなモチベーションを見出す必要があった。
そのために、フェイエ側から伝えられたオファー取り下げの理由について、どこまでどう本人に伝えるべきか、ということは、ジェブエンターテイメント社内でも議論になった。
フェイエ側の断りの理由は、「金銭が高いから」というものであった。オランダ国内の法律では、外国籍の未成年者を雇用する場合、最低賃金が高く設定されている。それを言うなら、そんなことは最初から分かっていたことであり、実際にその金額で契約書に明記されていたのである。本当の理由は他にあるのではないか?
当時のフェイエでは小野が主力で活躍していて、他に韓国人選手が2人いた。そこに新たに日本人選手を入れることに、フェイエが価値を認めなかったのではないか。つまり、そこまでの「マーケティング・バリュー」はないと判断されたのではないか、という予測がついた。

ここで田邊さんは、真実を本人にそのまま伝え、そしてあえて厳しい言葉を言ったという。

「お前が本当にいい選手なら、フェイエは高くても払っただろう。でも、お前がそこまでの選手ではなかったということだ」

それは次のモチベーションを生み出すために、負けず嫌いな菊地選手の性格を見越しての言葉だった。

海外へ行く夢がひとまず破れた今、次の目標を立てなければ前へ進めない。そこで、「これからどうしたい?」という田邊さんの問いかけに対する菊地選手の答えは次の通りだった。

「ワールドユースに出たい。
他の同期たちは、もうJリーグのチームに入団して、キャンプで揉まれている。今の自分はひとりで練習するしかなく、場所もせいぜい清水商でやらせてもらえるくらいだ。ワールドユースに出るためにも、コンディションを維持する練習環境がほしい。
そして、いつかまた海外にチャレンジしたい」

ワールドユースは当初は3月開催だったが、政治情勢により11月に延期が決まってしまった。そうなると、ワールドユースを海外クラブへのステップにするにはスケジュール的に難しい。入団テストを受けるにも代表との兼ね合いで難しい…。
そこで出た結論は、夢をかなえるために、まずJリーグに行きたい、ということだった。

ここから、オファーを受けていたJリーグ7チームの中から、ジュビロ磐田と京都パープルサンガに絞り込み、施設見学や試合観戦を重ねた結果、磐田入団を決意。
その理由には、同期生でよきライバルだった成岡と大井がすでに入団していたことと、名波や田中誠など、清水商の先輩が多数在籍していたことが大きかったようである。

3月末、ジュビロ磐田に入団。他の選手から出遅れたこともあり、公式戦初出場はその年の1stステージ終盤になってからだった。

【ジュビロ磐田からアルビレックス新潟へ】
03年にはワールドユース出場(ベスト8)、04年はアテネ五輪出場(予選リーグ敗退)。そしてその年のリーグ最終節ではスタメン出場と、出場数も順調に増えていったが、05年、山本監督体制が本格スタートしてから、その雲行きが徐々に怪しくなっていった。

05年の契約更新の際、交渉の席でクラブ側から菊地選手は、「チームの若返り方針」と「その中心選手としての役割を期待しているし、そのように育てる」ということを言われている。

しかし、実際はどうだったか。

第1節〜第12節
チーム順位:5位 9試合522分出場 出場率48%

当初の話の割には、出場機会が少ない。また、交替場面でも、本人が納得できないことが多かった。

そして、エージェントのスタッフが毎試合チェックをし、データを集めて行く中で、「このままではまずい、大変なことになる」「試合の出方がおかしい」という見方が出てきていた。

ここで、ひとつの大きな出来事が磐田で起こった。第12節終了後の藤田俊哉の名古屋移籍である。

この頃、選手起用に対する不満が、ベテラン選手を中心にチーム内に起こっていた。藤田の移籍は、それを象徴する出来事だったのである。監督と選手の間のズレは、目に見えた形になり始めていた。

中断期間中のミニキャンプでも、菊地選手は
「中心選手として見られていない気がする」
という言葉を口にするようになり、ネガティブな心理状態に陥りつつあった。

7月。「HOT6」と銘打たれた第13節〜第18節の連戦におけるチームの勝敗と菊地選手の試合出場状況は次の通りである。

第13節 ● ベンチ外
第14節 ○ ベンチ外
第15節 ○ ベンチ外
第16節 △ ベンチ入り
第17節 ○ ベンチ外
第18節 ● ベンチ外


ベンチ入りした第16節も出番はなく、結局7月のHOT6では、菊地選手は1試合も出場することができなかった。

選手は常に試合に出たいものだが、その一方で、監督はチームの戦績が悪くない場合、チームの流れを維持することを重視する。そうなってしまうと選手は替えにくいのは当然である。このときの磐田はチーム状態が悪くなかっただけに、なおさら、菊地選手は出場機会を得られにくい状況だった。

もともと、菊地選手の最大の希望は「もう1回海外にチャレンジしたい」ということだった。そのためには、試合に出られない、ベンチにも入れない状況はマイナスにしかならない。出場機会をどこかに求めなければならない。

折りしもその頃、菊地選手に対して期限付き移籍のオファーが、あるチームから届いていた。移籍するのか、残留するのか。
磐田側は慰留してきたが、第13節前から話し合ってきたにも関わらず、第13節から3試合連続のベンチ外である。「試合に使わない」監督の意思と、「チームの中心選手として考えている」というクラブの意思のズレは明かで、期限付き移籍をする方向で話は進んで行った。

そこで、オファーを出していたチームとの話し合いに入ったのだが、監督が外国人で日本語が話せないため代理を通して、ということになり、どうもラチがあかない。
そこで、セントラルMFとCBの選手層が薄いと思われるチームに声をかけたところ、即座に反応を示したのがアルビレックス新潟の反町監督だった。

「ぜひ獲得したいから、菊地と話がしたい」

反町監督の熱意と、江尻ヘッドコーチが清水商の先輩で以前から交流があったこともあり、菊地選手本人が新潟行きを決意したのだった。

条件や環境は、もうひとつのチームの方がはるかによかったはずだが、監督が自ら出向き、
「キミを獲得したい。レギュラーは保証できないが、チームのためにキミの力が必要だ」
という言葉を直接もらったことが、菊地選手の心を掴んだのである。
「監督から求められている」ことの素晴らしさは、選手だからこそ身に沁みて理解できることなのだ。

(余談だが、新潟移籍が決まったとき、田邊さんは菊地選手に「新潟でもレギュラーが取れないようでは、オマエのサッカー人生は終わりだ」とあえてキビシイ言葉を言って送り出し、新潟に入ったばかりの頃、反町監督からは「オマエは今までそんなサッカーをやってきたのか」とボロクソに言われ、相当ショックを受けていたそうである。2人の愛のムチは、彼の負けず嫌い魂を大いに刺激したことだろう)

新潟移籍後の活躍は周知の通りだが、それは数字にも現れている。

第19節〜34節
15試合1193分出場 出場率83%

チームの選手への評価の割合は「出場率」が一番高いが、移籍前の出場率の低さを思えば、新潟での数字がいかに飛躍的に伸びたかがよく分かる。
そして何よりもよかったのは、新潟に移籍してからはことあるごとに、

「自分が頑張らないとチームが勝てない」

と言うようになったことである。磐田ではただ先輩選手の後ろをついていくだけでよかったが、チームの中心になっている新潟ではそうはいかない。降格への危機感もあり、
「自分が引っ張って行かなければ」
という意識の高まりは、磐田時代にはなかったことだった。そして、生まれて初めて静岡県外に出て刺激を受けたことでプロ意識が強まり、新潟での4ヶ月で菊地選手は大きく成長したのである。

そして磐田に復帰した06年シーズン。

リーグ戦32試合出場(4得点) カップ戦8試合出場(0得点) 天皇杯3試合出場(0得点)

飛躍的に伸びている数字に、新潟に移籍した効果がはっきりと現れている。

【期限付き移籍の意味】
ここで、「期限付き移籍」について考えてみよう。

最近の期限付き移籍のパターンは大まかに4種類ある。
(1)構想外によるもの
監督の方針や相性などにより構想外になってしまったが、クラブ側としては将来的に必要な選手であると判断した場合(菊地選手はこのケース)。

(2)若手に出場機会を与える
G大阪が以前から盛んにとっている方法。大黒選手が札幌に期限付き移籍したのはその典型的な例。松下選手が新潟に来たのもこのケースである。今年は浦和が多数の若手を期限付き移籍させた。また、チーム同士で提携する方法もある(広島と愛媛FCなど)。

(3)クラブの収入源を主目的としたもの
解雇するよりはクラブとしては収入になるメリットを優先して考えた場合。期限付き移籍を繰り返す選手は、ほぼこのケースである。

(4)トレードまたはトレード+金銭
クラブ間で選手同士をトレードするような形を取ることがある。新潟と名古屋の間でも以前行われた。

以前はネガティブなイメージが付きまとっていた「移籍」だが、最近はその仕組みをうまく利用してポジティブに変わってきている。



…このセミナーを受講することを決めたとき、火付け役wのちゃきんさんから、
「ぜひ田邊さんに“新潟のような田舎チームがいい選手を獲得するためには何が必要か”という内容で単独インタビューに持ち込め」
と無理難題を言われたのだが、田邊さんとは少し話は出来たものの、さすがにインタビューに持ち込むことは出来なかった。
でも、この菊地選手のケーススタディの中で、はっきりと答えが出ていると思っている。

菊地選手が新潟に決めたのは、反町監督から直接言われたという
「キミの力が必要だ」
という言葉だった。また、今年、坂本隊長が新潟に決めた一番の決め手は、鈴木監督自ら出馬した交渉の席で、
「ぜひチームの中心になってほしい」
と言われたことだったと、隊長自身がインタビューで語っている。
チームに、そして監督に「必要とされている」ことの喜びは、選手にとっては何ものにも替えられないほどのプライオリティがあるのである。

「田舎チームだから、お金がないからいい選手が来ない」
というのは、努力と知恵が足りないことの言い訳だ(よほど移籍金がお高いスター選手は別だが)。選手を獲得するために一番必要なのは、資金よりも「ハートに訴える言葉」なのだ。選手はお金よりも情で動く。田邊さんも「金額を第一に考える選手はそれほど多くない」とおっしゃっていたが、それが真実なのだと思う。
そしてその言葉を持っているのはフロントや監督だけではない。サポーターの言葉も大きな力になるはずである。
author:ぐっちい, category:サッカー
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Comment
おはようございます。

キクちゃん絡みという事もあってか、セミナー3が一番アタマに入ってきました。
「代理人」というお仕事が、まず選手自身の“移籍願望”に基づいて
アクションを起こすものだということがわかりました。
(しばしば、元所属していたクラブのサポの八つ当たりの対象になりやすいですが)
ただ、キクちゃんの場合は、海外のクラブへの入団が現実のものになりつつある息子のために、
おとうちゃんがお願いしたのが最初だったと。
キクちゃんがまだ年若い事もあったのでしょうけど、耳の痛い事まで言ったりと
親代わりみたいにして、親身になってくれる方がついてくれたのはよかったなあ。と思います。
移籍を成立させて、終わりじゃない。シゴトとはいえ、情で動くのはこの方も一緒かと。
puucha, 2007/02/27 8:42 AM
長文レポ乙。
代理人は金目当ての悪役じゃなく、その選手の出場データも検証し、一番「良い方法」を採る手助けをしているのが実例からそれなりに分かりました。(すべてがすべてそうだとは言えないだろうけれどね)

で、私が火付けしてインタビューしてこいといった事について。
うん。私がこれまで話をした感触としても、大抵の選手にとって「金」は必ずしも一番重要じゃないなという手応えはあった。年俸に関してサポーターは手が出せないけれど、これならやりようはありそうだね。
ちなみに私の感触から言うと、練習見学者が選手にどう声をかけるのかってかなりポイント高そうな気がします。
「試合翌日の練習で、前日の具体的なプレーについて評価されるととても嬉しいし励みになる」ってある選手も言っていた。
サインもらって喜んで、「がんばってください。応援してます」って言っているだけじゃダメですよと、聖籠に通っているサポーターには促したい。頑張れ練習見学サポーター。君らの使命はなかなかに大きいぞ。っと。
ちゃきん, 2007/02/27 9:50 AM
>puuchaさん
エージェントは基本的に、「選手の希望を叶えるためにはどうすればいいか」を第一に考え、そのために最適な方法を探って希望を実現する手助けをするのが仕事です。エージェントから選手に移籍を持ちかけるということはしません。
そのあたりがどうも誤解されていて、選手をそそのかしている、という捉え方をされてしまうことがあるのが残念です。
田邊さんという方は実際にお会いしてみると、とても表情が豊かで人情味を感じさせる人です(きっと一緒に飲みに行ったら楽しいと思ふ)。多くの有力選手が田邊さんとエージェント契約を結びたがる理由もよく分かる気がしました。

>ちゃきんさん
ふはー。ミッション完遂いたしましたよ。
でも、とても面白かったし大変勉強になりました。火付け役ありがとうございました。
エージェントが悪役扱いされるのはメディアの報じ方にも原因があると思いますが(田邊さんもそう言っていた)、エージェントは「選手の希望を叶えるために動く」のが大前提です。そうなると、どうしてもクラブやサポーターの意に反したことをせざるを得なくなるのは至極当然ですよね。
嫌われ役になってしまうのは仕方がないんでしょう。

そう。サポーターの役割は大きいですよ。選手にハートを伝えることは、とても大切だと思いました。
ぐっちい, 2007/02/27 10:15 AM
ぐっちいさん、こんばんは。我々サポ−タ−の見えない力が働いて、選手自身が「決める」瞬間に役立つこともあるんだなと思いました。想いを伝える役割があるのですね(^^)。今更ながら「繋がる」をもっと大切にと感じた次第です。
ALBIN, 2007/02/27 10:37 PM
レポート読ませていただきました。
エージェント業というものが、キクチが題材でしたので、わかり易かったし、かなり納得、感心してしまいました。
彼の高校時代から新潟移籍までの流れを読んでみて、成熟していない頃に味わった辛さ・悔しさと、支えてくれた人たちの厳しさ中の愛情が、今の菊地直哉に繋がっている。
恥ずかしながら、代理人というものは、金銭的なことばかりと思っていたら、実は今だけではなく、選手の先までも見通して考えてくれている。選手の戦力的データ、選手の気持ち、クラブ側とのかみ合い、すべてをトータル的にみて動いてくれ、支えてくれているんですね。

ぐっちいさん、さすがです・・・すばらしい!
磐田のゴタゴタを振りかえると、状況的に良い選択したなと思うことも出来ましたので。。。
8番くん、ボランチ確実にゲットできましたね。
海の中が得意になったようで、安心しました。
きのこ, 2007/02/28 10:46 AM
>ALBINさん
選手に「昨日のあのプレーは良かった。また期待しているよ」という声を掛けられるようになりたいものですが、そのためにもサポはサッカーを深く知ること、そして選手たちのプレーをしっかりと見極める目を持てるようにならないといけませんね。

>きのこさん
エージェントの役目は、契約交渉だけではなく、選手の内面を把握して、ある時はメンタル面のサポートもするわけですね。細やかな気遣いと豊かな人間性がなければできない仕事だと思いました。
8番君には新潟で得たものをしっかりと形にしてほしいと思いますが、今年はぜひ代表入りを果たしてほしいもんです。
ぐっちい, 2007/02/28 5:07 PM
MIHOさんのとこからきました。菊地選手のことがテーマになってたんですね。
「そっかぁそっかぁ(:_;)」と思いながら読ませていただきました。
磐田でベンチ外が続いていた頃、試合前に当時フィジコだった菅野さんの後についていろいろ手伝っていた菊ちゃんを見てなんともいえない気持ちになったのを思い出します。
4ヶ月でも他のチームに行けて自覚できたのはほんとよかったんですね。本人の負けん気はもちろん、その場所が新潟だったことが、田邊さんがエージェントとだったことが、その言葉が菊地選手を一回りも二回りも大きくしたんだなって思いました。
菊地選手がつい最近「もう若手じゃない、主力なんだ」ってなにかのインタビューで言ってた言葉の意味がわかりました。
文章下手で長々とすみません。。。
なじゅな, 2007/03/04 1:41 PM
>なじゅなさん
ありがとうございますー。
新潟での4ヶ月は大きな意味があったというのは、新潟サポの立場からも嬉しいものです。あとは試合で結果を出してほしいところです。
が…。
うーん、厳しい船出になっちゃいましたねぇ。
ここからがキクチナオヤの底力の見せどころだと思うんで。
ぐっちい, 2007/03/05 12:40 PM









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