- しばらく
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2008.09.29 Monday旅に出ます。探さないでください。
大うそ。
えーと、ここからはホントの話ですが、
仕事が超絶多忙になりそうだということと、ちょいとガス抜きしたいということで、しばらくお休みします。
仕事やら何やらで頭の中がごちゃごちゃしていて、考えがまとまらないまま書くことが増えてしまい、読んでいただくに値するエントリーが書けてない、ということもあるので、いっちょ休んでみるかなー、というのが大きいんですが。
アルビが楽じゃない時期に休むのも、いかがなものか、という感じなんですけども。
あ、試合があった時とか、どこかへ出かけた時にでも、発作的にモブログくらいはするかもしれませんがw
サポリンSNSの日記は、毎日じゃなくても細々と書こうかなーと思いますが、あくまでも本拠地はここなので。
余裕が出てきたら、またきちんと再開します。
それでは、その日まで。
See you〜!
- やるせないヤマスタ・秋の夕暮れ
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2008.09.29 Monday【昨日の試合結果】
ジュビロ磐田 1-0 アルビレックス新潟
【得点者】
22分・マエリョー(磐田=PK)
ニワカバスが新潟ふるさと村を出発したのは、朝5時前。この時期になると、この時間ではまだ真っ暗だ。
三条燕付近で東の空が明るくなり、バスは西へ向かってひた走る。
道中、ヤマスタに到着したら浜松餃子を食べる相談をしていたら、すでに現地入りしていた人からメールが来て、14時予定だった開門が30分繰り上がり、列整理も13時からに変更になったとのこと。なんですとー。
なぜにそんなに急ぐ、磐田の運営。
それでも、アウェー側のゲートの真ん前に餃子屋さんが出ていたので、列に並ぶ前に買うことはできた。ジュビロサブレを買うヒマはなかったけどw
ゴール裏の最上段で、みんなで餃子や詰め放題(!)の焼きそばなどでランチをしながら、磐田サポーターが集まり出す様子を見ていたけれど、切羽詰まっている状況で開門も早めたくらいだから、超満員にでもなるのかと思いきや、気が抜けるほど少ない。
ゴール裏中心部は試合前に肩を組んで、「残留テーマソング」(「Top of the world」の替え歌)を歌ったり、ダンマクを出したりと、それなりの演出はあったものの、どうも伝わってくるものが薄い。なぜ自分たちが残留争いをしなくちゃいけないのか、磐田サポーター自身がピンと来てないんじゃないかと思える。
同じ危機感満載なら、3年前の日本平の方が数倍凄かったけどなあ。
試合は、立ち上がりは新潟の攻撃がいい感じで出ていたのだけれど、磐田のプレス、というよりラフプレーが頻発するようになってから、試合が変わってしまった。
あまりのラフプレー(カニばさみもあった)の連続で、新潟の選手がいつ壊されるかと、そればかりが心配だった90分間になってしまった。
特にマルシオとワンちゃんに対する削り方は悪質なものが多く、磐田に退場者が出てもおかしくないくらいだったのだけれど、退場者が出たのは新潟の方。
あれは、とにかくジウシーニョ。ジウシーニョのうまい仕掛けと、ファウルを誘う狡猾なプレーに千代が真っ正直に引っかかってPKを与え(このPKは取られても仕方がない)、後半も似たようなプレーで2枚目のイエローをもらってしまったのだった。
今に始まったことではないけれど、イエローの基準が曖昧な主審の笛は、試合を壊すし、何よりも選手を危険に晒す。負傷退場者が出なかったのが奇跡のような、こんな試合を繰り返さないでほしい。
敗因は、最後までジウシーニョを捕まえられなかったことに尽きるが、新潟も、相手のプレッシャーに思うようにタメを作れず、サイドをうまく使えなかった感じだ。
勲が慌ててしまっていたし、千葉ちゃんもハッキリとしたプレーが少なかった。不用意なパスミスもあったしね。
そんな中、終始冷静にプレーしていたみっちゃんと、外れたけれど凄絶なダイビングヘッドを見せた貴章の気迫と、裂傷を負いながら最後までチャンスの基点として走り続けていたマルシオが、救いになった試合だった。
うーん、残念ながら、マイチームはまだまだ甘い。
それにしても。自動降格圏内で、勝つしか生き残る道がない磐田も、勝つためには何振り構っていられなかったのは分かる。勝負事は勝つことが全てだ。
でも、この勝利を、心から喜んでいる磐田サポって、どれくらいいるのだろうか。
必死に頑張ることと、手段を選ばず汚いプレーも厭わないこととは、意味が根本的に違うだろう。
ジュビロ磐田とは、5年前のJ1昇格決定直後の天皇杯で、0-4で子供扱いされた試合から、新潟にとって大きな壁であり続けたチームだったし、節目節目で、印象に残る試合をしてきた相手だ。
残留争いというシビアな現実の前では、あの磐田でさえも、あんなサッカーとも呼べないようなプレーを選択しなくてはならなくなるのか。オフト監督は「1対1で勝て」と練習で口を酸っぱくして言っていたそうだが、それはラフプレーしろ、という意味だったのか?そうじゃないだろう、と思うのだが。
試合の後味の悪さとともに、何ともやるせない気分だけが残った。
2年前の、あの0-7の方が、いい試合だったよ…。
帰りのバスでは、試合の反省会をしつつ、気持ちはすでに次のホームゲームに向かっていた。
サポーターはいつだって前向きだ。
またビッグスワンを「勝つ空気」で充満させて、選手たちと一緒に勝利を掴もう。
次ですよ、次!
- 悔しい
- 到着
- 朝食
- 朝焼け
- ついで買い
- ここはどこでしょう
- IRB実験的競技規則ガイド
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2008.09.26 Friday帰りがけに、ラブラ万代のカンタベリーショップに寄ったら、お店に置いてあったのがこの冊子。
「IRB実験的競技規則ガイド」。
世界のラグビーは、今年の8月1日から、13項目の実験的競技規則が適用されることになり、日本でも、開幕したトップリーグで、既にそれに則って試合が行われている。この冊子はIRB(国際ラグビー評議会…サッカーで言えばFIFAですね)が作ったガイドブックの日本語訳版のようだ。
内容は、写真や図解で実験的ルールを詳しく解説しており、なかなか分かりやすく、よくできている。
特に、実験ルールの目的と意味を解説しているのが目を引いた。ルールが変わると何がどう改善されるのか(もちろん、そこには問題点も表裏一体なわけだが)を説明してくれると、試合もそういう目で見ることができるので、とてもありがたい。
日本ラグビー協会公式HPでは、ムービー解説も見られるので、そちらと合わせて見れば、より理解しやすいだろう。
サッカーでも、数年前にオフサイドルールの整備が行われたとき、FIFAの公式サイト上で図解をアニメにして、オフサイド例を解説してくれていたけれど、完全に理解出来たわけではないので、このようなガイドブックもあったらよかったな、と思う。
難解と言われるルールを、いかに分かりやすく、とっつきやすくして、少しでも興味を持ってもらおうというラグビーの取り組みは地道に続いている。80年代〜90年代前半のラグビー人気全盛期の頃から、人気にあぐらを掻かずに、それをやっていれば、今、こんなに苦労せずに済んだだろうけど。
(ん?どっかのプロサッカークラブでも似たような話を聞いたことがあるような?)
どんなにルールが難しいと言っても、結局はいかに相手ゴールラインを陥れて得点するか、ということで、その過程に見えてくる駆け引きや、アイディアに見どころがあるのは、サッカーと同じ。
ラグビーも見た目の難解さとは裏腹に、実際にはとてもシンプルに楽しめるスポーツなのだ、ということを理解してもらうためには、スタジアムで生の試合を見てもらえば簡単なのだけれど、足を運んでもらうまでに大変な努力が必要…ということも、サッカーだって同じだ。
- NZより
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2008.09.25 ThursdayマイケルのNZ時代の恩師が新潟に来て、それが物凄いスター選手だった人らしい、ということが、オフィシャルサイトのフォト日記に出ていた。
NZといえば、ラグビーとヨットレースが大人気の国。かつて3年間NZで暮らした経験を持つタッチラグビー仲間などは、
「NZなんて、街のあちこちに天然芝のラグビーグラウンドが当たり前のようにあるんだよ。それで、ラグビーボール1個持って『ラグビーやるから集まれ〜!』って声を掛けるだけで、子どもたちが喜び勇んで集まってきて、『友だち呼んできてもいい?』なんて言って走っていって、友だち連れて来たりするから、あっと言う間に人数が集まるんだ。だから、よく子どもたちとラグビーで遊んだよ」
と、遠い目をしながら語っていたものだった。今の日本でそんなことしたら、あっと言う間に警察を呼ばれるのは間違いないところだけど、NZという国は、ラグビーというスポーツに対する尊敬の念というのが物凄いのだ。半ば「宗教」みたいな感じ。
スポーツに対して宗教に近い感情を持つ感覚は、日本人には理解しにくいかもしれない(かつての長嶋茂雄や大鵬は、個人としてはそれに近かったかもしれないけれど)。
ヨットレース人気も相当なもので、2000年のアメリカスカップでチーム・ニュージーランドがイタリアを破って優勝した際は、NZ国中が大変なお祭り騒ぎになったそうである。
NZではヨットレース観戦も人気が高く、観戦用ヨットに乗って海上から観戦するブルジョア、小型機をチャーターして空から観戦するプチブル、港近くで有料パブリックビューイングを楽しむ一般人、街角の街頭テレビをタダ見するその他大勢…という風に、それぞれの範疇でヨットレースを楽しむのがNZ流、なんだとか。
アメリカスカップに出場するようなヨットマンは、オールブラックスの選手同様、大変なスーパースターなのである。
そんなお国柄の中で、サッカーはどの程度の地位を保っているのかはよく分からないが、同じくラグビーの国であるオーストラリアが、サッカーでも国際的な存在感を増しているのと比較すると、まだまだ格下扱いなのだろう(女子代表は北京五輪に出てたけど)。
マイケルの恩師であるウィントン・ルーファー氏は、かつてブンデスリーガのバイエルンで活躍し、ジェフ市原でも2年間プレーしていたそうで(すんません、記憶に残ってません)、NZサッカー界にとってはパイオニア的なスーパースターだったのだろう。恐らく、日本で言えば奥寺のような。
そのスーパースターの教え子で、U-15NZ代表に選ばれたこともあるマイケルは、NZサッカー界の期待の星だったのだろう。こうやってわざわざ、マイケルひとりのために新潟まで足を運ぶルーファー氏の熱意を見ると、NZ国内でのサッカーの地位向上への努力と、それでも有望選手の海外流出を止めることができない環境の厳しさが伝わってくるようだ。
マイケルも、それが分かっているから、「いいところをもっと見せたかった」んだろうな、と思う。
ルーファー氏が設立・運営しているサッカースクール「ウィントン・ルーファー・サッカー・ニュージーランド・トラスト」の公式HPにも、新潟訪問の様子が詳しく書かれている。
これを見ると、ただ様子を見に行ったというだけでなく、マイケルの来季の契約についての話し合いも目的に入っていた、ということが分かる。
プロ1年目で外国人枠との兼ね合いもあり、トップチームでの試合出場の機会がないマイケルについては、クラブサイドとしても、いろいろと育成策を考えているようだ。
9月も下旬に入ってくると、水面下では来季への動きが出始める。今年もそういう時期になった、ということか。