2016年12月の記事 | ぐっちいのスポーツを読もう!
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また会う日のために

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小林 裕紀選手 名古屋グランパスに完全移籍のお知らせ

 

2014年、裕紀が新潟にやってきたとき、あぁ、こういう「ご縁」ってあるんだなぁと、しみじみと思った。

 

2009年の天皇杯4回戦、私にとって夢の対決となった明治大戦では、宮阪政樹(現・松本山雅)とダブルボランチを組んでいたのが、当時3年生だった裕紀。新潟をパスワークで翻弄する姿を、明治のタオマフを首に巻いて明治のゴール裏で見ていた。

 

神川監督に率いられた明治は攻守にハードワークするチームで、新潟に向いていそうな選手が多かった。

 

「誰か一人でもいいから、新潟に入ってくれないかな」

 

と密かに思っていたのだったが、裕紀がジュビロ磐田経由で新潟にやってきた。

 

そして、2014年シーズンの激励会での様子を見て、これはサポーター受けする気の利いたことを言えるタイプじゃないなと思ったので、ユニに6番を入れることを決めたのだった。

 

その年の5月に、初めて聖籠でファンサをしてもらったとき、明治のタオマフにサインを入れてもらいながら天皇杯の話をし、6番ユニにサインをお願いしたら、手にしていたマーカーペンを自ら細字用から太字用にチェンジして、

 

「でっかく書いていいっすか!」

 

と喜々としてサインを描いてくれて、このツンデレキャラは面白いなぁと思ったものだった。

 


この3年間は、チームが苦しい状況に陥ることが多く、裕紀自身も、大学時代に見せていた「小林裕紀らしさ」を出し切ったとは言い難いし、キャプテンになった今年は、本当に辛いことが多かっただろうと思う。
内面からほとばしる感情が表に出るようになったのも、キャプテンとしての立場がそうさせたのかもしれない。ホーム大宮戦での号泣は忘れられない。
キャプテンとして、一気に大きな荷物を背負わせてしまったような気がして、ただただ申し訳ない、という思いが強いのだ。

 

だから、天皇杯マリノス戦前日の聖籠で、裕紀に

 

「明日はノビノビやってください」

 

と言ったのは、重い荷物を下ろして身軽になって欲しかったからだ。そのときの裕紀の表情は心に残る。

 

これは、裕紀に送ったメールにも書いたことだけれど、裕紀がノビノビとプレーしていた試合は、新潟は強かった。ある意味、レオ以上のキーマンだったと思う。
2014年のホーム川崎戦や、2015年のナビスコカップ準々決勝1stレグ、そして今年のホーム鳥栖戦、アウェイ磐田戦での躍動は、新潟での3年間の中でもハイライトと言っていいんじゃないだろうか。

ピッチを俯瞰するような視野の広さで、相手の嫌がるところに出す長短の立体的なパスは、今までの新潟にはないものだった。
来年も聖籠やビッグスワンで見たかった。でも、少なくとも来年は、天皇杯で対戦することがない限り、裕紀のプレーをビッグスワンで見ることはできない。


移籍の理由は、本人にしか分からないことだけれど、降格したチームを再びJ1に上げるというミッション、そして次期監督と噂される風間八宏さんのサッカーへのチャレンジは、プロサッカー選手としてさらにレベルアップするためには必要なことなのかもしれない。

 

この3年間、裕紀のプレーから新潟の新たな可能性を感じた日々は、楽しかった。苦しい思いもたくさんしたけれどね。
NDスタで初めてプレーを見てから7年、たぶん、こんな「ご縁」を感じる選手と出会えることは、もう二度とないだろう。
サインを入れてもらった、明大サッカー部の2009年天皇杯出場記念タオマフは、宝物だ。「ご縁の証」、だからね。

 

今年の天皇杯のプロモーション映像には、あの2009年の裕紀の姿が映っていた。J1クラブに勝って、ゴール裏にいる仲間たちに飛びつきに行った明治の背番号7。あの頃のような、のびやかなプレーを、もっと新潟で見たかった。
3年間、新潟のために闘ってくれてありがとう。本当に感謝の言葉しかない。またいつか、ビッグスワンで会える日を待っている。

その日のために、新潟は頑張るよ。だから、裕紀も頑張れ。

 

 

 

裕紀のお知らせが来た後、今度は移籍加入のお知らせが届いた。

 

北海道コンサドーレ札幌から堀米 悠斗選手 完全移籍加入のお知らせ

 

札幌から下部組織出身の生え抜きが来るのは、2010年の西大伍以来か。

 

別れがあれば、出会いがある。
アルビレックス新潟の2017年は、もう始まってるんだ。

author:ぐっちい, category:アルビレックス
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ミスターアルビレックス、新潟に帰る

栃木SCから本間 勲選手 完全移籍加入のお知らせ

 

 

 

ビックリした。ひたすら驚いた。

 

去年の残留争いのさなかに、ある人と話をしていたら、

 

「残留のためにも本間勲を呼び戻した方がいい」

 

と言われ、それは本当にそうだとは思ったけれど、さすがにそれは無理だよなぁ…と思っていた。

 

とはいえ、いつか戻ってきてくれたらいいなという思いはあった。でも、まさかそれが現役のうちに実現するとは思ってもいなかったし、いろいろなことを考えると、複雑な思いがあったりもするけれど、やはり「望外の幸せ」という言葉が一番似つかわしいんだろうと思う。

 

勲は、実際には強烈なキャプテンシーがあるわけではなく、自分の姿勢とか、コミュニケーションでチームをまとめるようになって、どんどんキャプテンらしさを増していったような印象がある。
そしていつしか、新潟にはなくてなならない、唯一無二の存在になっていた。

 

そんな勲を、クラブも出したくて出したわけでもないし、勲自身も出たくて出たわけではなかったはずで、いろいろな巡り合わせの結果、プロサッカー選手として生きていく以上は新潟を離れざるを得なくなったということなんだろうと思う。
クラブがずっと、15番を空き番号にしてきたことにも、それは現れている。
(個人的には、将来的には史哉に15番を受け継いでほしいと思っていた)

 

今回の勲の帰還は、様々な要因や思いが重なり合った結果、実現したことだろう。
栃木SCがJ2復帰に失敗し、多くの主力を保有できない状況に陥っているということも、きっかけになっているのだろうと思う。

 

でも、戦力的にという以上に、精神的支柱になるベテランの存在の重要性、チームが若手育成しながら勝利を求めるという2つのミッションを求められている今こそ、勲の力が必要だということを、クラブが再認識したということでもあるのではないだろうか。

 

フミさんにとっても、勲の復帰は心強いだろう。

 

そして、「新潟で現役生活をまっとうする」という道筋も、新潟にとっても勲にとっても、とても大切なことなんじゃないかとも感じている。今まで、片道切符にしかならなかったベテラン選手のレンタル移籍に、こうやって再び戻ってくるという前例を作るということは、とても価値があることだと思う。

 

勲、お帰りなさい。
ミスターアルビレックスの戻ってくる場所は、やっぱりビッグスワンだね。

 

 

author:ぐっちい, category:アルビレックス
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