2019年10月の記事 | ぐっちいのスポーツを読もう!
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ノーサイド・ゲーム

ラグビーW杯での日本代表の戦いはベスト8で終わり、残すは今日明日のベスト4と来週の3位決定戦、そして決勝を残すのみになった。

まだまだお楽しみはこれからですよ、みなさん!

 

今ごろになって、録画していた「ノーサイド・ゲーム」を見てたりしている。

劇中で、アストロズ唯一の日本代表選手であるSH里村(演じているのは、明治とトヨタでプレーしていた佳久創。お父さんは元プロ野球中日の郭源治さん。佳久くんは現役時代はSHではなくWTBかCTBだった)がライバルチームに引き抜かれるというエピソードの中で、アストロズとして「移籍承諾書」を出すかどうかというやり取りが出てきた。

 

これは、選手の移籍に際して、移籍元が移籍承諾書を出さないと、移籍先で1年間公式戦に出場できないという取り決めが、実際にトップリーグにあったということをモチーフにしていると思われる。
この取り決めは、独占禁止法に違反する疑いがあるという公式見解を受けて、昨年ようやく撤廃されたので、今は存在していない。
ただ、ストーリーの流れで、あえてこれを出したのだろうな、池井戸潤さんは。

 

実際にあった話では、この取り決めで対照的な流れになったのが、日本代表不動のSO田村優と、その弟、田村熙(ひかる)。
二人とも、当時低迷期にあった明治で、大黒柱として頑張っていた。

 

兄は明治からNECで7シーズンプレーした後、キヤノンに移籍。弟は東芝に入り、わずか1年でサントリーに移籍。
兄は移籍後すぐに公式戦に出場したが、弟は1年間公式戦に出場できなかった。


これは明らかに、それぞれの移籍元チームが移籍承諾書を出したか出さなかったか、ということ。兄はNECにとって長年主力としてチームを引っ張っていた功労選手であり、何よりW杯を目指す日本代表の大黒柱でもあったので、NECは移籍承諾書を出してくれたのだろう(万が一、出さなかったら、ラグビー界から批判を浴びただろうなぁ)。一方の弟は、大卒1年で移籍したので、東芝は認めてくれなかったと。
東芝の判断は、当時の常識では当然だっただろう。しかも、同じ府中市内に本拠を置くライバル中のライバルに移籍したのだから。

 

「ノーサイド・ゲーム」でのアストロズ里村は、最終的にはチームメイトたちの理解もあって、移籍承諾書を出してもらえ、移籍先のサイクロンズで、アストロズの強敵として立ちはだかる。


ここらへんの細かなディテールの描きかたは、池井戸潤らしさであり、演出の福澤克雄さん(旧姓山越、慶大ラグビー部時代は日本代表A(U-23)にも呼ばれたことがある、ゴツいロックだった)のこだわりなのだろう。

元日本代表や、大学やトップリーグで活躍した選手(現役・OB含む)を配役にし、練習や試合のシーンに本物を持ってきた、このドラマの本気の作りが、ラグビーに興味を持つファンを増やし、ラグビーワールドカップ本番の盛り上がりの一助になった。
ワールドカップの放映権を持たないTBSが、日テレやNHK、J SPORTSに塩を送る形で、このようなドラマを制作したのは、もともと高校ラグビーの中継を長年してきて(実際の番組制作は同系列の毎日放送)、伝説のドラマ「スクールウォーズ」を世に送り出した局としてのプライドでもあったのかもしれない。

author:ぐっちい, category:ラグビー
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歴史が変わる日

10月13日は、15時からサッカーJ2愛媛FC vsアルビレックス新潟、19時45分からラグビーワールドカップ日本vsスコットランドだった。

まず、サッカーで新潟が勝って、その勢いで日本がスコットランドに勝ってベスト8、というのが最高のシナリオなんだけどなぁ、と思っていた。

 

果たして、新潟は相性の悪い愛媛に1-0で競り勝ってくれた。至恩と史哉が2試合連続スタメンで、その至恩のスーパーミドルが決まり、それが決勝点になった。

全体的に愛媛にボールを持たれる苦しい展開の中、至恩のゴールを守りきった。守りきれるようになったのは、チームの成長であり、ようやく積み重ねが形になってきた。もっと早くこうなっていれば、という思いはあるけれど、プレーオフ圏内への可能性をまだまだ追い続けていかなければいけない。

もうね、残り全勝しましょうよ。

 

 

そして、スコットランド戦。

試合展開を細かく書く必要はないだろう。日本がスコットランドに勝ち、予選プールAを4戦全勝で1位通過し、初のベスト8入り。

大会前に思い描いていた夢が、本当になった。

 

私が初めて日本代表のテストマッチを観に行ったのは、89年のスコットランド戦だった。ずっと大学や社会人の試合は山ほど観に行っていたのに、日本代表を観に行きたいと思ったことがなかった。

どうせ勝てない。

アジアでは勝てても世界では通じない日本代表を観るのが辛かったからだ。 

でも、そんな私の「日本代表観」を変えてくれたのが、宿沢ジャパンのデビュー戦であったスコットランド戦だった。秩父宮ラグビー場のバックスタンド最上段で目の当たりにした歴史的勝利は、日本代表の刺さるようなタックルとともに、記憶の底にある。

 

その後、ワールドカップでは91年にジンバブエに勝っただけで、その後は全く勝てず、95年にはオールブラックスに145点取られるという屈辱もあった。

繰り返される「世界で勝てない日本ラグビー」の姿は、出口の見えないトンネルの中にいるような感覚だった。

 

日本代表ヘッドコーチが、日本人から外国人に代わったのも、そんな屈辱の歴史が刻まれた後になってからで、エリサルドはうまくいかなかったものの、ジョン・カーワンがワールドカップでの日本の連敗を止め、エディー・ジョーンズのもとで、「世界で勝てる日本」にまで成長した。それがジェイミー・ジョセフによって開花したのだと思う。

 

今の日本代表の戦いぶりは、あの「接近・展開・連続」の大西理論をバージョンアップさせたもののように見える。

大西理論は体が小さな日本人が世界に勝つために編み出されたものだが、フィジカルでも十分対抗できるようになった今の日本代表が見せる「接近・展開・連続」は、それがいかに先端を行く理論だったかを教えてくれる。

それを証明したのがアイルランドとスコットランドを撃破した試合だったんじゃないだろうか。

 

4年前、予選プール最終戦のアメリカ戦に勝ち3勝目を挙げたのに予選敗退が決まり、ヒーローインタビューで五郎丸が涙を流したあの日。

あれからの日々を、選手たちもラグビー関係者も、どんな思いで過ごしてきたのかは想像することしかできないけれど、日本ラグビーの歴史が塗り替えられていく様を観てこられたことは、幸せだ。

 

そして、準々決勝の南ア戦で、さらに歴史が変わる瞬間が見たい。

author:ぐっちい, category:ラグビー
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史哉の復活

 

鹿児島戦は親戚の葬儀で千葉へ行っていて、スワンへは行けなかった。

スタメンを知ったのも、葬儀が終わったあとのおとき振る舞いの席だった。

 

友人からLINEが届いていて、そこで史哉のスタメンを知ったのだった。

 

ああ、ついにこの時がやって来た。それなのに、スワンにいないなんて、我ながら何という間の悪さか。

 

初めてベンチ入りした時、お祝いのメッセージを送ったら、

 

「まだスタートラインに立ててないので」

 

という返事が来た。史哉にとっては、ベンチ入りがスタートラインではなく、試合に出てようやくスタートなのだと思っている。周りが勝手に浮かれちゃいけないのだと、ちょっと反省した。

だから、本当にスタートが切れたことは、心から喜びたい。

 

スタメンで出ただけでなく、フル出場。これは大いに自信になったに違いない。クレバーで状況を的確に読むプレーぶりは変わっていなかった。

 

次はスタメンを継続すること。競争相手は新井直人だ。右SBで出場を目指しているのは他にもいるのだから、これからまた厳しい競争を勝ち抜かなければならない。

厳しく苦しいだろうけど、これほど幸せなこともないだろう。プロサッカー選手として。

 

翌日、小針浜へ夕焼けを撮りに行った。

そういえば、史哉が入院していた頃、小針浜の夕日を撮影してメールで送ったなぁ。あの時は、

「早く戻ってきて欲しい」

という思いだったけれど、同じ風景でも、随分違って見える。

 

ようやくチームとしての一体感が出てきたように見えるチームの歩み(マイコーの存在がかなりいい作用をもたらしていると感じている)と、史哉の本格的なリスタートが、これからさらにいい流れになっていくように。

プレーオフ圏内を目指して、走り続けていかなければ。

 

author:ぐっちい, category:アルビレックス
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史哉の復活

 

鹿児島戦は親戚の葬儀で千葉へ行っていて、スワンへは行けなかった。

スタメンを知ったのも、葬儀が終わったあとのおとき振る舞いの席だった。

 

友人からLINEが届いていて、そこで史哉のスタメンを知ったのだった。

 

ああ、ついにこの時がやって来た。それなのに、スワンにいないなんて、我ながら何という間の悪さか。

 

初めてベンチ入りのした時、お祝いのメッセージを送ったら、

 

「まだスタートラインに立ててないので」

 

という返事が来た。史哉にとっては、ベンチ入りがスタートラインではなく、試合に出てようやくスタートなのだと思っている。周りが勝手に浮かれちゃいけないのだと、ちょっと反省した。

だから、本当にスタートが切れたことは、心から喜びたい。

 

スタメンで出ただけでなく、フル出場。これは大いに自信になったに違いない。クレバーで状況を的確に読むプレーぶりは変わっていなかった。

 

次はスタメンを継続すること。競争相手は新井直人だ。右SBで出場を目指しているのは他にもいるのだから、これからまた厳しい競争を勝ち抜かなければならない。

厳しく苦しいだろうけど、これほど幸せなこともないだろう。プロサッカー選手として。

 

翌日、小針浜へ夕焼けを撮りに行った。

そういえば、史哉が入院していた頃、小針浜の夕日を撮影してメールで送ったなぁ。あの時は、

「早く戻ってきて欲しい」

という思いだったけれど、同じ風景でも、随分違って見える。

 

ようやくチームとしての一体感が出てきたように見えるチームの歩み(マイコーの存在がかなりいい作用をもたらしていると感じている)と、史哉の本格的なリスタートが、これからさらにいい流れになっていくように。

プレーオフ圏内を目指して、歩みを早めていかなければ。

 

author:ぐっちい, category:アルビレックス
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