- 悲しくてやりきれない
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2020.05.11 Monday
前エントリーで、「書きます」と宣言してしまったので、書く書く詐欺にならないうちに書くことにしました。私個人の思いとして読んでいただければ幸いです。
先日、大きな衝撃とともに駆け巡った、
「内田潤アルビレックス新潟U-15監督解任」
のニュース。
まず、オフィシャルサイトで「アカデミー組織変更のお知らせ」というタイトルでリリースされたのが最初でした。
内容を読み進めると、吉永U-18監督がアカデミーダイレクター兼任になるとあり、吉永さん、ダイレクターもやるんだ(復帰とも言えますが)と思いながら下を読むと、森アカデミーダイレクターがU-18コーチに転任。
ん?これは降格人事じゃないかと思いながら、さらに下を読むと、
「内田潤U-15監督退任」
の文字が。
えええええー!ウチさん退任ー??!!!
なんでそんな肝心なことを、こんなにしれっと、なんのコメントもなく書いてあるんだ?!
まず、私の頭の中に駆け巡ったのは、そんな思いでした。
この時期にアカデミーダイレクター交代とU-15監督退任なんて、どう考えてもただ事ではありません。
最も影響を受けるのはアカデミーの子どもたちであり、それに対する配慮があったのか、ケアはやってるのか、まずそこを考えると同時に、クラブのレジェンドであるウチさんが、なぜこんな形でクラブを去ることになったのか、説明がなければ誰も納得しないだろうと思いました。
すると翌日の新潟日報に、「解任」という文字が踊り、森ダイレクターのコメントとして、
「看過できない重大な契約違反があった」
という記事が出ました。こんな重要なことを、なぜ新聞辞令で出すのか。なぜオフィシャルには出さなかったのか。そもそも、なぜ降格されたダイレクターのコメントが最初に出てくるのか。順番が違うんじゃないの?というのが正直な感想でした。
そしてすぐにウチさんの、
「重大な契約違反は思い至らない」
という反論コメントが出て、これはダイレクターとウチさんの間で何かあったとしか考えられない状況に。
それにしても、またもや新聞記事です。
その後、是永社長がインスタライブでサポーターに直接コメントを出しましたが、なぜそれをオフィシャルサイトで出さないのでしょうか。インスタライブなんて時間が経てば消去されるメディアで出したコメントをオフィシャル扱いにするのは無理があるでしょう。モヤモヤが解消されるどころか、さらに大きくなるばかりでした。
その後、聞いた話から少しずつ真相らしきものがわかってくるにつれ、変革の真っ只中にあるクラブの中で、避けられない摩擦だったのかもしれませんが、コミュニケーションの拙さや言葉の扱い方のズレが最悪な結果を招いたのだとしたら、間に入ってくれる大人がいれば、こんなことにならなくて済んだのでは、という思いが残ります。
覆水盆に帰らず。こんなことで、誰よりも新潟を愛してくれたウチさんが、新潟を去らなければならないなんて、あまりにもやりきれなく、悲しいことです。
何より、今回のことで一番影響を受け、ショックや不信感に包まれているのはアカデミーの選手たちや保護者の方々でしょう。
鳴り物入りで導入されたエコノメソッドの成否も重要ですが、それ以上に大切にしなければならないものは何なのか、クラブとしてもう一度考えてほしいと願います。
- コロナ禍の中、今思うこと
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2020.05.08 Friday
大変ご無沙汰しておりました。
昨年末にラグビーW杯観戦記をアップしただけで、えのきどさんと松村道子さんのトークショーのことも、ラグビートップリーグを観に2度も熊谷ラグビー場へ行ったことも、J2開幕戦を観に前橋へ行ったことも、書かずにいました。
(J2開幕戦は新潟日報モアのサポーターコラムに書きましたので、ぜひそちらを)
今、あちこちのチャンネルで過去の試合の再放送をやってますが、去年のラグビーW杯での試合を観ると、どれも超満員のスタジアムで、大声援の中で行われていたのが、ほんの半年前だったなんて、信じられない気持ちがします。
横浜国際総合競技場が、初めて7万人超の観客を集めた決勝戦。サッカーでも実現できなかったことです。
今、「コロナ後」という話が出ていますが、コロナ後のJリーグ、プロ野球、ラグビー、Bリーグは、スポーツ界はどうなるのか。
ソーシャルディスタンスを求められるJリーグのゴール裏は、今まで通りにはいかないだろう。それだけはわかります。イタリアで感染拡大した元凶がセリエAの試合だったと言われているだけに。
今、一番辛いのは、プロとして生きる選手たち自身です。
そして、プロクラブを運営している人たちです。
他にも辛い人たちが山ほどいすぎて、何とかしなければと、そればかり考えています。もちろん自分自身もです。
おー、ここまで書いて、ウチさんのことを書くスペースがなくなってしまいました。
それはこの後で。